OGIMOノート~家族のためのモノづくり~

OGIMOテックノート ~家族のためのモノづくり~

重度障害の息子を持つ父親エンジニアの備忘録。自作の電子工作おもちゃ/リハビリ器具/ロボット関係の製作記録、思った事を残していきます

重度身障児の息子が地域小学校で4年過ごしたら、息子やクラスメイトに面白い変化が起きた話 (インクンクルーシブ体験)

先日にバンキシャにて我が家の密着ドキュメンタリを放送頂きました

ogimotokin.hatenablog.com

ショート動画が公開わずか6日で150万回再生を超える視聴回数を頂く程に広がっています。
(2024/3/4追記 公開11日目では280万回再生超え、バンキシャShort動画として歴代1位という大盛況っぷり!?)
また大変多くのポジティブコメントを頂き、家族一同大変嬉しく感じております。

youtu.be


ただ、同時に、ネガティブコメントも増えてきました。
基本的に、ネガティブコメントについて特に気にしない我が家なのですが、
そのネガコメの話題で目立ったのが、
「なぜ普通学校に通っているのか? 特別支援学校ではないのか?」
という内容でした。


この就学問題については、
私達もたくさん考えて、悩んできました。

今回は長文になりますが、そのたくさんの想いをブログに記させて頂きます。


まず大前提として、
義務教育課程で、
その子がどこで教育を受けるかの権利は本人 及び 家族

にあります。

その権利を踏まえて、
「地域の小学校」「特別支援学校」
息子にとって何が良い選択なのだろうか?

これはほんとーーーーーーにめちゃめちゃ悩みました。

たくさん考えて、
たくさん悩んで、
最終的に私達が選んだ
「地域小学校に就学する」という選択肢。


それによって、
息子にとって得られた経験、
周りのクラスメイトの子供達の変化や気づき、


ここからの話は、
あくまで私達の家族としての事例です。
「教育は、特別支援は、こうあるべきだ」などの主張をするつもりはありませんし、
考えを周りに押し付けるつもりも毛頭ありません。

とある障害を抱えた子供を持つ一家庭の実話として捉えて貰えたら良いかと思います。

①進学を決めたきっかけ

息子は、いわゆる重度身障児です。
就学する時点では、歩けない、喋れない、知的遅れも目立ってきていました状態でした。

特別支援学校、地域小学校

それぞれのメリット/デメリット、
息子自身に学校生活で何を得て欲しいのかを考えた結果、
私達は「地域小学校」を選びました。

決め手になったのは、
『出会える同年代の友達の数が多い事』

あくまで個人的見解ですが、小学校時代は、勉強自体を行うよりも、
同年代の友達との関わり方・集団の中で生まれるバラエティ溢れた経験数
こそ、将来の選択肢を広げる事に繋がるのだと考えたのです。

ちょうど新型コロナに対面してオンライン交流に盛んになった時代が到来しました。
これによって、学校以外の場でも、例えばオンラインやSNS交流を通した新しい人との出会いや経験を重ねる手段も増えました。
しかし、息子の場合、オンラインに対する認知面が追い付いていないため、
とにかくリアルの人同士の交流経験を大事にしたかったのです。

学習面については、支援学校の方がその子の特性に合わせたきめ細かなサポートが期待できるかもしれません。
普通クラスだったら、すぐに授業スピードに追いつけなくなって、寂しい想いをするのではないだろうか?

ただ、中学校・高校と年齢が上がると、どんどん専門的な学習になり、
同じ様な学習レベルや同じ興味を持った友人コミュニティ(似た人達)で固まっていくかと思います。

私が幼い頃を振り返っても、小学校時代が一番いろんな人がいたなぁ、と感じています。
その子にあった専門的な学びはいつでもできる。

それより、小学校こそいろんな子供達と入り混じる経験の中に身を置いて、同年代との集団生活で過ごす経験を大事にしてほしい

それが、息子の将来の成長を見据えて、私達が悩みながら出した答えでした。



②小学校に通う際、心がけ続けた事

息子の通う地域学校は、重度の子供を受け入れた経験が過去になかったのです。

初めて見学の電話入れた時の気持ち。
暗に断られないかな……て不安だらけでした。

学校が微妙な感じだったらさすがにそれを押し切って6年通うのも気持ち的にしんどい。

そしたら。
めちゃくちゃウェルカムだったんです。
それはもう、拍子抜けなほどに

「ともくんも一緒に勉強して遊ぼう!!」

そう校長先生が言ってくれたんだ。
目を見ながらね。
当たり前のことが涙出るほど嬉しいんだ。


障害当事者の方からしたら
「受け入れるのは当たり前だ、当然の権利だ」
という意見もあるかもしれませんが、
現実問題として
当たり前前提で攻撃的な態度で接するのは必ずどこかで不和が生まれる

学校側には学校側の事情もあるのでそれを理解しながら、
お互いに今の自分達で出来る事を建設的に模索していく事こそ大事だと思います。

進学前に校長先生や支援学級の先生と何度も面談をして、
今の息子の状態、学校として出来そうな事など、たくさん話あった。
ありがたいなぁ、と思ったのは、
受入れ経験がない分、逆に私達の提案を積極的に取入れ、一生懸命に活かそうとしてくれた事。

なので、私からも積極的に、テクノロジーを使った支援方法について学校に提案&協力する形で進めていきました。


①息子自身で友達とコミュニケーションを取るためのロボットハンド「とものて」、入学当初から4年間ずっと使い続け、友達との交流に活用していった
 protopedia.net

②授業はiPadアプリを使い、ひらがな文字描き練習や、算数計算など、息子が興味を持ちそうなスタイルで継続してくれた

③自分の意思で動ける電動台車"ToMobility"を使って、運動会や学校登校など自分の力で出来る事を増やそうと取り組んで頂いた
protopedia.net


もちろん現場の教員の皆さんからの現実的な意見も踏まえつつ、
こちらの意見だけ押し通すことのないよう、
また周りの子供達に何か強要や我慢させてしまう事がないように心がけて、
双方にとっていい関係を築いていきながら、
一緒にできる事を考えながら4年間過ごしてきました。

2歳上のお姉ちゃんも、
「ともくんと一緒の学校に行けて嬉しい」
と喜んでくれていたし、
休み時間には姉ちゃんの友達と一緒に弟のクラスに遊びにいったりもしていた様です。


③ 息子の変化 ~同年代との関わりで生まれた成長~ 

地域学校に進学してから4年。
息子は、「特別支援級」「普通学級」を行き来して過ごすスタイルで、学校生活を過ごしています。

当初は違和感のあったロボハンド付車椅子で登校も、もはや日常の光景になっていきました。

友達に日常的にもみくちゃにされていく中で、
息子自身も周りの同年代の子供達の様子を観察する様になり、
状況への認識力も高まっていった様に見えます。

教室に入れば、友達が自然に集まってくる事もあり、
「あいさつしようよ!」
と友達が声掛けして、アイサツが始まるのです。

いつも間にか、それに対して 自然に「バイバイ」が返せる様になりましたし、
ちゃんとお礼が必要なシーンではみずから「ありがとう!」ボタンを押す様になりました。

youtu.be

気分が乗った日には、クラスの友達に対して「おはようございます!」とアイサツして回ったそうです!
友達に対して自分から主体的に何かアクションできる様になる!
これが出来る事になったのは、本当に嬉しい!

子供達の世界の中で、子供は学び、成長する

www.youtube.com


④ 周りの子供達のインクルーシブ経験による変化

普通学校の中で、重度障害を持ったクラスメイトと共に過ごすインクルーシブ経験。
これは決して、障害を持った子供だけのためでなく、クラスの子にとっても良い影響があった、と感じています。
(私達の主観も含めつつ、学校の担任の先生から客観的に聞いた話になります)

[影響①] 「困っている子」に自然に寄り添い、考える友達が出来た

クラスの中にやんちゃな子がいるらしいのですが、
とある際に息子がパニックを起こして叫びだした際に、
「どうしたん?」
って気にかけたそうです。
その後も何度か気に掛ける様になりつつ、いつの間にか自然に寄ってくる様になり、
「今日はなんで泣いてるん?」
「あ、分かった!本が読みたいんやろ」
と少しずつお世話を自主的にする様になったとの事。
そこで周り(補助の先生)から褒められて、それが自分の役割になったのが嬉しかったのか
「ともくんには、こうするとええんやで!」
って、自分から積極的に世話を焼く様になって、やんちゃ頻度が減ったとの事です。

一緒に過ごしているからこそ、
こんな子もいるんだと気づき、
そこから
自主的に「何かをしてあげよう」って気持ちが自然に生まれていく事もある


[影響②] 「できない」事を工夫するアイデア・経験を身近で学べる

普段、息子はロボハンドやiPad、電動台車などの支援ツールを使っています。
これがクラスの子供達にとにかく人気なんです!
あいさつするロボハンドを使って突然じゃんけん大会が始まったり、
電動台車を見るたびに「カッコいい!戦艦やん!」みたいに集まってきたり
とにかく話題が尽きない!
「例えば、指でボールを発射する装置があれば、とも君も一緒に遊べるね」
そんな友達のアイデアから生まれたのが、
スイッチで遊べるボール投球マシン
これを試しに使ってみたら、息子のノリはイマイチでしたが(笑)
「これ、めちゃ楽しいやん!!」
って、普通にボールを投げれるクラスメイト達の方がめちゃめちゃ盛り上がって、何度も何度も交代で遊び始めたw

ボールを投げれない息子がいなければ、電動装置でボールを投げる体験に出会えなかったし、
そこで生まれる新しい遊び方にも気づけなかったのだろう

「こんな工夫ができたら解決できるんだ」

その体験は、例えば、その子が将来、
何か「できない」事にぶつかったとしても、
いろんな手段で工夫すれば「できる」事を知っていれば諦めなくて済む

そんな原体験に繋がるかもしれません


[影響③] 支援機器を使うからこそのOnly Oneのワクワク体験を得られる

息子が大きな手術で、数か月の間、入院で小学校を離れる事がありました。
しかし、せっかく周りのクラスメイトと交流していた繋がりを、少しでも継続したい、と想い、
分身ロボットOriHimeを使って、入院中の遠隔通学を実施させて貰ったのです。


youtu.be


「クラスメイトがロボットになった!」と興奮するクラスメイト。
帰ってご家族に自慢したりと、周りもすごく喜んでいたそうです。

障害を持った子達は必要だからこそ使っている支援装置、
これを使って出来る新しい体験は、
クラスに障害を持った子がいるからこそ出来るOnly体験

クラスの子達にとっても、新しい気付きとワクワク体験に繋がるのではと思います。



自分達の小学校時代を思い返して……

そもそも、なぜ障害があるのを理由に学校が分けられているのだろうか。

地域の公立小学校を出た私にとって、障害者ってとても遠い存在だった。
当時としてはとても珍しく、医療ケアのいる子が、集団登校の班にいた。
必ずお母さんがそばについていた。
決して差別する気持ちもないが、なんとなくじっと見ちゃいけないんじゃないかとか、
どう接していいのか全く分からなかった。

話すとしてもお母さんとお話する程度。

障害の体験とかで、目をつむって校内を歩く、とかした記憶がある。

感想文を書かされ
「目が見えないのはとても怖く感じた。困っている人がいたら助けようと思いました」
とかありきたりな文章を書いた記憶も薄々ある。



もちろんその当事者の気持ちを体験するのとは大切だとは思うけど、
もっともっと大事なのはそこから先の行動では??


実際どう声をかけるの??
どう助けるの??
どういう行動が喜ばれるの??

そんなの日常的に接しないと全く分からないこと。

毎日見ていたら、
この部分が困っている、手助けがいる、
分かってくる。
そして優しい人ならば【自然に】手が出てくる。

困っている人を助ける、誰かのために行動する、

そんな思いやりの心を小さい頃から備えていくのはとても大事なのではないだろうか。

勉強は正直何歳からでも学べると思う。
人間的に大事な部分を育てていくのは幼稚園保育園、小学校だと私は思っている。

大人になり、病気や事故で不自由になった時、
思いやりの心を持った人が少なければ、
誰かのために、動ける人が少なければ、
回り回って自分が困ることにならない?

支援学校と地域学校で、交流とかはあるかもしれないけど、
その僅かな時間の交流だけでは、逆に【違い】だけが強調されてしまい、
自然な関係は築けないと思う。

たとえ、喋れない、歩けない、お勉強も一緒のことは出来なくても、
息子がその同じ空間に【日常的に】いることは、
同年代の子供たちにとってとても大事なのだと思いたい。











⑤ おわりに

普通学校に進学する事に関して、また息子の様子に関する事について、
多くの暖かいコメント・リアクションを頂きつつも、
ごく一部にいただいた声についても冷静に拝見させて頂きました。

その中でも、
「障がいを持った方が身近にいない」
「自分の実体験として知らない」起因の誤解や偏見のものも多いな

と個人的に感じました。

『思った事を正直に書くと、障害があり、この子のように泣いていたり、よくわからない行動をしている子の心の中や、頭の中がわかりません。
ただ、泣きながらスロープを登り切った後、「ありがとう」のボタンを押したとき、行動と考えが合っていない事に驚かされました。
障害者を理解する機会は、学校生活の中で稀にあるかなというくらいです。しかもその時期を超え、社会人になるとほぼありません。もう少し理解を深める機会が大人になる過程であればいいのになと思いました。』

頂いたコメントで、私はこの感想がしっくりきました。



私達も、もしかしたら
息子が障害に直面しなかったら、
きっと知らなかったのかもしれない。

もし、自分の小学校時代に
障害のある子が近くにいたら、
しゃべれない/表現が苦手なだけで内にいろんな感情を秘めている事を知ってたら、
そしてツールを使いいろんな工夫をして解決できる事を知ってたら、

今もっとできる事があったかもしれない

今、健康である人も、
いつ体が動かなくなって「障害」に直面するか
分からない

その時に、
「知って」さえいれば、
その時の不安感、絶望感も解消できるし、
「なんとかなるかもしれない」と前向きになれる

その点でも、
障害を持った方をまず「知る事」、そして「日常的に過ごした経験」は、きっと長い人生において意味を持つと強く信じます。


その意味でも、今回のバンキシャ放送(テレビ放送やYouTube)等を通して、
「障害によって自己表現が苦手な子供がいる事、
 テクノロジーを使い工夫すればその子の意思を周りに伝えられる事、
 それを通して子供達の世界で楽しく生活していける事を
 知って貰えた事」

に大きな意味を感じて、
もしかしたら誰かの人生に良い影響を与える事ができたのかもしれないな、
と大変嬉しく思っています。

                      • -

いろいろと書いてきましたが、これはあくまで我が家の事例です。

冒頭でも書いた通り、我が家は
息子の状態や、学校生活の中で得て欲しいモノ等を踏まえて考えた結果、ひとまずは地域小学校を選択しました。

今後の息子の状態や学校生活でのフィードバックを踏まえて、どうするかはこれからも継続して考えていく必要があります。

大事なのは、
【障害に関わらず、それぞれに選択肢があって、
 それを自分の意思で選べる事】

なんだと思います。

学校生活に限らない話になりますが、
障害と共に生きる子供達にとって、
その子にあった選択肢がどんどんと広がっていく事を強く強く願うばかりです!