2013年に誕生してから、早くも11年が過ぎました。
11年という時が過ぎると、
息子の幼い頃の記憶も少しずつボンヤリしてきましたが、
息子が生まれた時の衝撃的な感覚だけは今でも鮮明に思い出されます。
私達夫婦のこれまでの世界が一気に変わった瞬間でもありました。
当時に感じ続けた、抱えきれない程の多くの不安感。
「高い確率で障害が残る」と告知された事による複雑な感情。
ぐちゃぐちゃになった感情の渦の中、
それでも前向きに頑張ろうと決めた想い。
もし突然同じ境遇になって不安でたまらなくなっている誰かに少しでも寄り添う事ができるのならば、
と当時の手記(facebookでの友人限定記事)をブログにも公開させて頂ければと思います。
~865gの小さないのちと、そのいのちに救われた母~ (2013年7月20日 手記より)
7/16(火) 17時16分 我が家に第二子となる長男【朋克(ともかつ)】がめでたく誕生しました。
元々の出産予定日は11/1。
本来の正常出産は妊娠40週であるのに対して、私たちは24週4日という異例の出産を決断する事となりました。
出産時の体重は865グラム、正常の新生児が平均3000グラムであるのに対して、1/3にも満たない大きさ。
いわゆる超未熟児です。
ここに至るまでの数日間は、まさに現実味を欠いた様な出来事です。
正直なところ、抱えきれないくらい不安な事もたくさんあるけれど、
前向きに頑張ろうと決めたので、
この気持ちを忘れない様に、敢えてこの様な場で綴らせて頂きます。
※注意
現在妊娠されている方、またそのご家族の方に対して、不安を助長させてしまったり、不快な思いをさせてしまったとしたら、申し訳ないです。まず断らせて頂きますが、私たちが体験したのは非常に稀なケース(1%未満)ですので、過剰な心配は不要です。
ただ、出産は命がけであり、奇跡の連続である事、そして万が一の場合でもあきらめず迅速に対応する事、その大切さを少しでも知ってもらいたかったため、敢えてそのままの言葉で記載します。
◆経過
『早期胎盤剥離』という症状をご存じでしょうか?
胎児が子宮の中にいるにも関わらず、胎盤が子宮から剥がれてしまう症状。
現代の医学でも原因不明で、発生そのものは低確率(1%程度)ながら、
発生した場合、母子ともに死亡率が高い症状。
産婦人科の世界において、最も恐ろしく気を付けなければならない現象だそうです。
実際、妻は妊娠7ヶ月目の安定期で、妊娠発覚~当日まで何の問題もない状態でした。
月一の検診でも経過順調との診断。
状況が一変したのは、出産日となった当日の朝。
【7/16 9:30】
その日は京都の実家に帰省して、祇園祭の宵山に行く予定でした。
しかし、朝目覚めると、妻が青ざめた表情で訴える。
「出血してる。。。」
落ち着いて状況を確認する。特におなかの張り・痛みは感じないとの事だったが、出血という症状が心配のため、
かかりつけの産婦人科へ車で連れて行く。
【7/16 10:30】
私と二歳の娘は自宅待機、妻からの連絡を待つ。30分後に妻から電話が来る。
「赤ちゃんの心音は聞こえるが、出血が続くのが気になるから、大きな病院に移送して再検査する」
との事。そこで、二歳の娘を急遽実家に預け、私一人で妻の移送先である病院に向かう。
【7/16 12:00】
妻のもとに到着。医師からは「前置胎盤の可能性があり、その胎盤が子宮にこすれて出血した」との説明。
経過観察のため、長期(2ヶ月)の入院が必要とのこと。
ひとまず、出血とお腹の張りを抑えるため、薬を投与して様子を見る。
【7/16 14:30】
薬を投与し続けても、お腹の張りが収まらず。薬の濃度をかなり上げるが、状況は改善せず。
ここに来て医者も別の可能性を懸念して、再度エコー診断を実施。
すると、子宮側面にぼんやりとした影が確認され、ここで状況が一変。
医師から至急の説明。
「子宮の側面にある胎盤が、部分的に剥がれかけてる可能性がある。」
「まだ断定できないが、最悪の場合、本日に帝王切開での出産となる」
………あまりの状況の変化に、頭が全くついていけてない。。。
え?? なんで?? まだ24週目の未成熟な胎児を出すなんて、、、
素人目に見ても、その子の成長に対するリスクが相当ある事は想像付く。とにかく、何かの間違いであって欲しい心境だった。
【7/16 15:30】
私たちのまわりの医師や看護師さんの動きが慌ただしくなってきた。小児科担当や産婦人科の先生方が緊急招集されてきた様だ。
再度エコーを確認、側面側の黒い影が先ほどよりも鮮明に出ている。主治医の先生は決断する。
「胎盤の部分的剥離の可能性が高いため、最悪のリスク回避のため24週ながらも出産、緊急帝王切開に踏み切ります。
これからは時間との勝負です。いいですね?」
何かの間違いであって欲しいと思い込みたかったが、状況証拠からも納得できた事、
そして何より知識も少ない私たちは、すべて主治医の先生に委ねるしかなかった。
ただ、最後に妻に尋ねる。
「頑張れる?」と。
妻は静かに頷いた。これで、僕自身も腹がくくれた。正確に言うと、腹をくくる以外の選択肢がなかった。
【7/16 17:00】
妻が手術室へ向かう。「頑張って!」としか言いようの無い状況。
# 後から聞いた話なのですが、手術室には15人くらいの万全の体制が組まれてたそうです。
# 妻曰く、「ドラマの様なあまりの状況にびっくりして笑けてもたw」との事
# (↑余裕だな、オイw)
# ……自分達の想像以上に危ない状況だった様です。
そこからの時間、私にとっては絶望との戦いでした。
知識のなかった私はネットで「早期胎盤剥離」「超未熟児」について色々と調べると、あまりの内容に絶望を覚えた。
・胎盤がはがれると胎児への酸素供給がなくなり、わずかな時間で死に至る
胎児の死亡率30%~50%、死亡を免れても、低酸素状態による後遺症も数々残るケースも。
・もっとも恐ろしいのは胎盤剥がれによる出血多量による母体死亡
母体死亡率は4%~10%、死亡を免れても、最悪の場合は子宮摘出。
待望の我が子だけでなく、妻を失ってしまう恐怖で壊れてしまいそうなやりようのない気持ち。
[7/16 19:00]
看護師さんから手術成功で母体は無事との一報。
出血量は多く引き続き予断は許せないが、子宮摘出というワーストケースには至らなかった事。
手術室から戻ってきた妻の姿を見て、ここでみっともなく大泣きしてしまった。
ほんとうに、ほんとうに、、、良かった。。。
息子についても、、、母体から取り出された後、迅速に呼吸器補助等の処置して頂き、NICU(集中治療室)に移動されたとの事。
万全の体制で、迅速に対応して頂いたため、特に問題はないとの事。
二人とも無事だったのがこんなにも嬉しく、こんなにも愛おしいって、本当に生きていることに感謝をしました。
迅速な対応と判断で二人とも無事に助かったと思います。
私が販売研修の代休日のため自宅にいて迅速に初動が取れた事。
産婦人科の先生の迅速な判断。
搬送先の病院のベットが空いていた幸運。
搬送先の先生の手術の決断。
この動きが数時間でも遅れていたら、もっと違った結果だったそうです。
全てのタイミングが良かった。
最悪の状況の中、最善の結果となったと思い、今はとにかく、喜びと感謝の思いでいっぱいです。
ほんとうにありがとうございます。。
そして、何より息子がお腹の中で頑張ってくれたお蔭で、お母さんが助かった。
「お母さん、危ないよ!」と一生懸命におなかに圧力をかけてくれたおかげで、
医師は胎盤剥離である事を確信したのですから。
さっそく、最高の親孝行をしてくれました。
お母さんを助けてくれて、ありがとう!
◆新生児の状況
24週で生まれた息子を、出産当日に会う事ができました。
手のひら二つ分ほどの小さな赤ちゃん。
口からは管を通され、両手には点滴。
まだ肺すら形成されていなく、自分で呼吸が出来ない。
口を動かす力がないため、お腹から直接チューブで栄養補給。
まだ外の世界で自力で生きて行く準備が出来ていない赤ちゃん。
それが、日本の医療技術によって生かしてくれている。
ためしに、足に触れてみると、しっかりと蹴り返してくれる!
……だけど、確かに生きている。
いろんな方々の力によって、生かされている。
そのありがたみに、再度涙してしまいました。
自分の子供である愛おしさと、
「お母さんのお腹の中で赤ちゃんはこんな風に育ってるんだ~」
とめったに見る事が出来ない生命の貴重な機会を楽しんでいる
ある種の知的好奇心が入り混じった不思議な感覚です。
胎動がどうやって起きているか、初めて生で見た! 本当に赤ちゃんは足を延ばして、お母さんのお腹を押しているんやねぇ~
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24週4日で産まれてきた超未熟児。26週以下というのは、
超未熟児の中でもかなり早期との事で様々なリスクは高いとの事。
ここからが長い戦いのはじまりです。超えるべき壁はこれからたくさんあります。
肺や呼吸器は正常に成長するか、脳に後遺症はないか、
未熟児網膜症を回避できるか、その他外界の細菌に対する抗体が作れるか
仮にすべてうまくいっても、普通の子供とどこまで同じ様に生活できるのか、、、
どんな障害がでてくるか、、、、
考えれば考えるほど不安のタネは尽きない。
だけど、ただ不安がってるだけでは仕方がない。
とにかくまずは色々と勉強して、正確な知識をきちんと身に着ける。
そして、何かつまづく事があれば、その時は、一生懸命考え、最善を尽くした上で、
最後にはそのすべてを愛し、受け入れたい。
その状況の中での一番の幸せを探し、感じていれば、それでよい。
◆子供の名前
私たち両親の実直な想いを心いっぱい込めて、
【朋克(ともかつ)】
という名前を付けました。
「出生のハンデやこれから訪れる数々の困難をも『克服』する強い意識を
持った子に育って欲しい。
そしていつか、ともに助け合い、ともに成長していける
たくさんの友人『朋(とも)』に恵まれて欲しい
家族・友(朋)と支え合いながら、
これから起こるどんな困難をも克服していけますように。。。」
立派でなくてもよい、偉くならなくてもよい、ただただ健康に元気に育ってほしい!
それが一番の願いです。
生まれてきてくれて、
本当に本当に、ありがとう。
父も頑張る!
みんなで力を合わせて、前向きに、頑張って乗り越えていこう!ね!